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zoom RSS 佐藤琢磨のこと

<<   作成日時 : 2006/06/22 15:51   >>

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佐藤琢磨が競技を始めたのは昨今のF1ドライバーとしては例外的に遅く、1996年、ホンダと鈴鹿サーキットがフォーミュラカーを用いたレーシングスクール、鈴鹿サーキット・レーシング・スクール・フォーミュラ(SRS-F)が設立されたことを知り、モータースポーツの世界に飛び込むことを決心。このとき選考方法の不公平さを訴え自らの実力で合格を勝ち取りました。

スークールでの琢磨はすぐに非凡さを発揮、講師よりも速かったという話も・・・・

イギリスにわたりF3より格下のジュニア・フォーミュラであるフォーミュラ・ヴォクスホールJr.にダイヤモンド・レーシングより参戦して活躍を示し、その後に満を持してカーリン・モータースポーツより2000年と2001年にイギリスF3選手権にフル参戦。

・・・・イギリスに渡った理由のひとつにスピード違反で免停になったことも一因という話も・・・


2001年には日本人初のイギリスF3チャンピオンとなり、国際F3レース(マールボロマスターズ、マカオGP)も制して名実共にF3ドライバーとして世界の頂点を極めた。
特にマカオGPは前年クラッシュしているだけに絶対取りたいタイトルだったようです。またマカオGPはF1で活躍しているドライバーが数多く参加しており(セナ、シューマッハ、バトン、ジャック・ビルヌーブ等々・・・ちなみに井出有治も2000年煮た熊と戦っています・・・)トップカテゴリーへの登竜門的レースではあります。

2001年10月に、ジョーダンのドライバーとして2002年シーズンのF1に参戦することが決定し、史上7人目の日本人F1ドライバーとなった。初めてレーシングカートに乗ってからわずか5年でF1のシートを獲得するのは奇跡に近い快挙であると言われた。

2003年シーズンは、翌年以降のレギュラー・ドライバー昇格のオプション付でリザーブ兼テスト・ドライバーとしての契約を結びB・A・Rに移籍した。最終戦日本GPでは、ジャック・ヴィルヌーヴの代役として出場。6位入賞の大金星を挙げた。

2004年はB・A・Rのレギュラー・ドライバーに昇格。アメリカGPで日本人最高位タイの3位フィニッシュ、ヨーロッパGPでの日本人初のフロントロー獲得と同じく日本人初のラップリーダーを記録するなど、日本人最高記録を更新し続けている。

2005年は琢磨にとっては最悪の結果(ポイント1)で終わり、BARホンダを出ることに。

2006年は鈴木亜久里氏による新規参戦チームのスーパー・アグリ・フォーミュラ1から参戦することとなった。


 今週末よりカナダGP,アメリカGPと2連戦です。アメリカGPで佐藤琢磨は初の表彰台(3位)に立つことの出来たグランプリでもありよい形で終えて欲しいですね。

 ヨーロッパに戻ってくればいよいよ待ちに待った新車投入です。いろいろ噂はありますが、少なくとも2〜3秒は速く走れそうなので、ミッドランド、トロロッソとは互角以上の戦いが出来そうです。

ということで下に琢磨のレーサーとしての戦績を載せておきます。暇だったら見てくださいね。


佐藤 琢磨 の戦績


F1デビュー以前
1996年、ホンダと鈴鹿サーキットがフォーミュラカーを用いたレーシングスクール、鈴鹿サーキット・レーシング・スクール・フォーミュラ(SRS-F)が設立されたことを知ると、モータースポーツの世界に飛び込むことを決心。早稲田大学を休学してまずはカートを始め、モータースポーツ暦わずか半年で、競争率10倍の難関を突破した。(当初予定に無かった面接試験を行わせたという逸話付き)SRS-F入学直後からスクール生はもちろんのこと、時には講師陣さえ上回る速さを披露し、1997年首席で卒業。

1997年 - カート地方選手権FA-2関東・西 シリーズ1位
1997年 - カート地方選手権FA-2関東・東 シリーズ3位
1998年 - 全日本F3選手権にスポット参戦 (チーム:童夢) (マシン:ダラーラF398無限)
Rd.1 鈴鹿 19位 /予選6位
Rd.2 筑波 欠場 /予選15位

1998年には名門チームの無限×童夢プロジェクトより全日本F3選手権のデビューを決めたが、免停中に免許取り消しとなる交通違反を犯し、国内レースに出走できなくなった事もあり、F1ドライバーとなるためモータースポーツの本場・ヨーロッパのレースに参戦すべく、シーズン半ばに渡英した。

1998年 - フォーミュラ・ヴォクスホールJr.(イギリス)
1998年 - フォーミュラ・オペル・ウィンターシリーズ 3位(チーム:ダイヤモンド・レーシング)
1999年 - フォーミュラ・オペル・ユーロカップ シリーズ2位
Rd.1 (ドニントンパーク)1位 /予選2位
1999年 - フォーミュラ・オペル・ユーロシリーズ 6位
1999年 - イギリスF3スカラシップ参戦 (チーム:カーリン・モータースポーツ)
1999年7月 - イギリスF3選手権(ナショナル・クラス) 3勝
1999年11月 - マカオGPエリクソン・フォーミュラ・チャレンジで優勝。
2000年 - イギリスF3選手権(ナショナル・クラス) シリーズ3位 (チーム:カーリン・モータースポーツ) (マシン:ダラーラF300無限)
Rd.1 スラクストン リタイア /予選7位
Rd.2 クロフト 5位 /予選3位
Rd.3 オウルントンパーク リタイア /予選11位
Rd.4(R1) ドニントンパーク リタイア /予選1位
Rd.4(R2) ドニントンパーク 9位 /予選25位
Rd.5 シルヴァーストーン 1位 /予選1位
Rd.6 ブランズハッチ 2位 /予選4位
Rd.7(R1) ドニントンパーク 3位 /予選7位
Rd.7(R2) ドニントンパーク 9位 /予選5位
Rd.8 クロフト 1位 /予選1位
Rd.9 シルヴァーストーン 1位 /予選1位
Rd.10 スネッタートン 6位 /予選6位
Rd.12 シルヴァーストーン 1位 /予選2位
2000年6月 - ヨーロッパF3選手権(ポー)リタイア /予選24位
2000年7月 - フランスF3選手権スポット参戦で優勝
Rd.5(R1) スパ・フランコルシャン 1位 /予選8位
Rd.5(R2) スパ・フランコルシャン リタイア /予選2位
2000年8月 - マルボロ・マスターズF3(ザントフールト)28位 /予選2位
2000年11月 - マカオGP・F3レース(ギア・サーキット)リタイア /予選2位
2001年 - イギリスF3選手権 シリーズチャンピオン (チーム:カーリン・モータースポーツ) (マシン:ダラーラF300無限)
Rd.1(R1) シルヴァーストーン 12位 /予選3位
Rd.1(R2) シルヴァーストーン 4位 /予選4位
Rd.2(R1) スネッタートン リタイア /予選4位
Rd.2(R2) スネッタートン 2位 /予選3位
Rd.3(R1) ドニントンパーク 1位 /予選2位
Rd.3(R2) ドニントンパーク リタイア /予選3位
Rd.4(R1) オウルトンパーク 1位 /予選1位
Rd.4(R2) オウルトンパーク 1位 /予選4位
Rd.5(R1) クロフト 失格 /予選2位
Rd.5(R2) クロフト 1位 /予選3位
Rd.6(R1) ロッキンガム 1位 /予選2位
Rd.6(R2) ロッキンガム 1位 /予選2位
Rd.7(R1) キャッスルクーム 2位 /予選1位
Rd.7(R2) キャッスルクーム 2位 /予選4位
Rd.8(R1) ブランズハッチ 9位 /予選1位
Rd.8(R2) ブランズハッチ 1位 /予選4位
Rd.9(R1) ドニントンパーク 12位 /予選1位
Rd.9(R2) ドニントンパーク 1位 /予選1位
Rd.10(R1) ノックヒル 1位 /予選2位
Rd.10(R2) ノックヒル 1位 /予選3位
Rd.11(R1) スラクストン 2位 /予選2位
Rd.11(R2) スラクストン 8位 /予選3位
Rd.12(R1) ブランズハッチ 2位 /予選2位
Rd.12(R2) ブランズハッチ 1位 /予選2位
Rd.13(R1) シルヴァーストーン 18位 /予選3位
Rd.13(R2) シルヴァーストーン 1位 /予選1位
2001年6月 - ヨーロッパF3選手権 リタイア /予選4位
2001年7月 - F3インターナショナル・インビテーション・チャレンジ(シルヴァーストーン) 1位 /予選1位
2001年8月 - マールボロ・マスターズF3(ザントフールト) 1位 /予選1位
2001年9月 - エルフF3マスターズ(スパ・フランコルシャン) 3位 /予選2位
2001年11月 - マカオGP・F3レース(ギア・サーキット)1位 /予選2位

イギリスF3(British Formula 3) 国F3選手権の中でも、アイルトン・セナ、ミカ・ハッキネンを輩出したことにより、名門と目されるシリーズ。

マカオグランプリ(Macau Grand Prix)1954年よりマカオで開催されている世界的に有名な市街地レースであり、アジアで初めてのグランプリレースである。
主な勝者
1977年、1978年:リカルド・パトレーゼ
1979年、1980年:ジェフ・リース
1982年:ロベルト・モレノ
1983年:アイルトン・セナ
1990年:ミハエル・シューマッハ
1991年:デビッド・クルサード
1995年:ラルフ・シューマッハ
2001年:佐藤琢磨

F1デビュー後

2002年 - F1世界選手権 シリーズ15位 (チーム:ジョーダン) (マシン:ジョーダンEJ12ホンダ)
2001年10月に、ジョーダンのドライバーとして2002年シーズンのF1に参戦することが決定し、史上7人目の日本人F1ドライバーとなった。初めてレーシングカートに乗ってからわずか5年でF1のシートを獲得するのは奇跡に近い快挙。しかし、資金不足に悩むジョーダンチームではシーズン中のテストもままならず、加えて不運なクラッシュもある中、成績としては日本GPでの5位入賞のみであった。

Rd.1 オーストラリアGP リタイア /予選22位
Rd.2 マレーシアGP 9位 /予選15位
Rd.3 ブラジルGP 9位 /予選19位
Rd.4 サンマリノGP リタイア /予選19位
Rd.5 スペインGP リタイア /予選18位
Rd.6 オーストリアGP リタイア /予選18位
Rd.7 モナコGP リタイア /予選16位
Rd.8 カナダGP 10位 /予選15位
Rd.9 ヨーロッパGP 14位 /予選16位
Rd.10 イギリスGP リタイア /予選14位
Rd.11 フランスGP リタイア /予選14位
Rd.12 ドイツGP 8位 /予選12位
Rd.13 ハンガリーGP 10位 /予選14位
Rd.14 ベルギーGP 11位 /予選16位
Rd.15 イタリアGP 12位 /予選18位
Rd.16 アメリカGP 11位 /予選15位
Rd.17 日本GP 5位入賞 /予選7位

2003年 - F1世界選手権スポット参戦 シリーズ18位 (チーム:B・A・R) (マシン:BAR005ホンダ)
最終戦日本GPで、ジャック・ヴィルヌーヴ代役として出場。レースでは途中ミハエル・シューマッハと競り合う場面もあるなど見せ場を作り、6位入賞の大金星を挙げた。

Rd.16 日本GP 6位入賞 /予選13位

2004年 - F1世界選手権 シリーズ8位 (チーム:B・A・R) (マシン:BAR006ホンダ)
B・A・Rのレギュラードライバーに昇格。アメリカGPで日本人最高位タイの3位フィニッシュ、ヨーロッパGPでの日本人初のフロントロー獲得と同じく日本人初のラップリーダーを記録するなど、日本人最高記録を更新し続けている。また、現在日本人ドライバーの中で最も生涯通算ポイントを稼いだドライバーでいる。

Rd.1 オーストラリアGP 9位 /予選7位
Rd.2 マレーシアGP 15位 /予選20位
Rd.3 バーレーンGP 5位入賞 /予選5位(1994年片山右京に並ぶ予選日本人最高位タイ)
Rd.4 サンマリノGP 16位 /予選7位
Rd.5 スペインGP 5位入賞 /予選3位(予選日本人最高位)
Rd.6 モナコGP リタイア /予選8位
Rd.7 ヨーロッパGP リタイア /予選2位(予選日本人最高位更新、日本人初のフロントロー獲得、日本人初のラップリーダーを記録)
Rd.8 カナダGP リタイア /予選17位
Rd.9 アメリカGP 3位入賞(1990年鈴木亜久里に並ぶ日本人最高位タイ) /予選3位
Rd.10 フランスGP リタイア /予選7位
Rd.11 イギリスGP 11位 /予選9位
Rd.12 ドイツGP 8位入賞 /予選9位
Rd.13 ハンガリーGP 6位入賞 /予選3位
Rd.14 ベルギーGP リタイア /予選15位
Rd.15 イタリアGP 4位入賞 /予選5位
Rd.16 中国GP 6位入賞 /予選9位(エンジン交換で10グリッド降格)
Rd.17 日本GP 4位入賞 /予選4位
Rd.18 ブラジルGP 6位入賞 /予選6位

2005年 - F1世界選手権 シリーズ23位(チーム:B・A・R) (マシン:BAR007ホンダ)
モチベーション下がりっぱなしのシーズン。琢磨のレースキャリアの中でも最悪の1年になってしまいました。

Rd.1 オーストラリアGP 14位 /予選19位
Rd.2 マレーシアGP ウイルス感染に伴う発熱のため、欠場 サードドライバーのアンソニー・デビッドソンが代わりに出場
Rd.3 バーレーンGP リタイア /予選13位
Rd.4 サンマリノGP 車体の最低重量規定違反のため失格(5位入賞 /予選6位)
Rd.5 スペインGP B・A・Rの出場停止処分により欠場
Rd.6 モナコGP B・A・Rの出場停止処分により欠場
Rd.7 ヨーロッパGP 12位 /予選16位
Rd.8 カナダGP リタイア /予選6位
Rd.9 アメリカGP リタイア /予選8位
Rd.10 フランスGP 11位 /予選5位
Rd.11 イギリスGP 16位 /予選8位
Rd.12 ドイツGP 12位 /予選8位
Rd.13 ハンガリーGP 8位入賞 /予選10位
Rd.14 トルコGP 9位 /予選タイム抹消(14位)
Rd.15 イタリアGP 16位 /予選5位
Rd.16 ベルギーGP リタイア /予選11位
Rd.17 ブラジルGP 10位 /予選19位
Rd.18 日本GP 失格(13位完走もヤルノ・トゥルーリとの接触事故を起こしたため) /予選5位
Rd.19 中国GP リタイア /予選17位

2006年 - F1世界選手権 (チーム:スーパー・アグリ・フォーミュラ1) (マシン:SA05ホンダ)
2006年は鈴木亜久里氏による新規参戦チームのスーパー・アグリ・フォーミュラ1から参戦することとなった。
参戦が決まるまで本当薄氷を踏むような思いでしたが何とか開幕戦のグリットにつけたことがうれしい限りでした。開発期間があまりにも短く入賞するのも厳しい状況ですがマレーシアでは久しぶりに(本当に久しぶり・・・)琢磨らしい走りも見られ今後に期待といったところでしょうか。
Rd.1 バーレーンGP 18位 /予選20位
Rd.2 マレーシアGP 14位 /予選21位 
Rd.3 オーストラリアGP 12位/予選21位
Rd.4 サンマリノGP リタイヤ/予選21位
Rd.5 ヨーロッパ GP リタイア / 予選21位
Rd.6 スペイン GP 17位 / 予選20位
Rd.7 モナコ GP リタイア/ 予選19位

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